視線の向かう先

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視線の向かう先

視線の向かう先
オツォ・カントコルピ

かつて私は大学で文化人類学を専攻していた。結局��卒業することはなかったが、一つの点において賢くなった。「他者について学べば学ぶほど、自分自身のことが分かるようになる」ということを学んだのだ。西洋の芸術家たちは長きにわかってこの方法論のもと、アフリカの仮面を集め、タヒチに行き、コーカサス山脈を登ってきた。しかしそこには共通してある種の批判精神が欠けている。異文化は視覚的な魅力を与えてくれるものとしてしか捉えられていない。例えば、パウロ・クレー(1879-1940)も日記に「光の意味を私は北アフリカで初めて学んだ」と書いている。
 アニタ・イェンセン(1957年生)は長年にわたって、異文化の出会いが生み出す視線の方向と中身をテーマとしてきたグラフィック・アーティストであり、日本に通うようになって15年になる。
イェンセンは 作品の素材として、古い写真と古い学術書を用いる。人を分類する学術資料を、シュルレアリスム的に様々な写真と組み合わせるのだ。「大きな物語」、神話、信仰、認知体系を、自身で描き出そうとするのではなく、ただ批判的な考察の下に置くのである。人が物事や生きたものをどのように名付け、分類整理し、価値評価してきたのか、そうすることによって、どのようにそれらを自己のものとしようとしてきたのか、イェンセンの関心はそこにある。
イェンセンの方法論は直接的なポストコロニアル批評ではない。作品制作を通じて、イェンセンが作り上げて来たシュルレアリスムの詩論は見る者を常に惑わせる要素を持っている。その作品には夢のようなもの、いやむしろ、覚醒と睡眠の間のぼんやりとした場とでも呼ぶべきものがある。奇妙な美しさ、それは少々恐怖心をも抱かせる種のものだ。
明らかにイェンセンは、日本的なるものを捉えようとしている。私はずっと前に一度しか日本を訪れたことがないが、今でも覚えているのは、徹底した規律とその下に潜む非常な混沌との対立である。日本文化の中で育った者に息づき、何か病的なものすら感じさせるものがイェンセンの作品にも見られる。優れた技術に裏付けされた作品群は、繊細さ美しさの極地にあるが、同時に見る者にある種の不気味な残像を残す。そこにこそ、その力強さが隠されているのだ。イェンセンの作品世界に入り込むことは心地よいことではない。心地よい気分にさせることは彼女の意図することではない。
表象を分析するにあたって、イェンセンは美術に関する「無害な」事柄だけでなく、我々がどのように世界や人間,特に他者についてのイメージを構築してきたのかを取り上げている。その中には男性によって作られた女性のイメージも含まれる。そうすることで彼女も破壊と構築の対話(これは楽観的に弁証法と呼ばれる)に参加しているのだ。イェンセンは「詩と想像力には、理性の狭い束縛を打ち破り、理解へと導く力がある」と言う。その小さな心の動きをそのまま受け入れることができるかを、彼女の作品は見る者に問うているのだ。
(2008年、Uusi Suomi 掲載 訳: 植村友香子)